コロナの影響で長期間の外出自粛をしていた為、季節の節目も感じずに5月も過ぎた訳だが、日差しや青々しい風景を見ていつの間にか夏を迎えてしまった…そんな感覚だ。
撮影に行けないので、過去の写真を色々漁っていたのだが、1年程前の懐かしい写真が出てきた。夏前にカメラ仲間と行った長野の撮影旅行だ。
元々は星撮影がメインで向かったのだが、ついでに寄った『旧木沢小学校』という廃校が撮影するのに非常に良いロケーションだった為、改めて執筆したいと思う。
旧木沢小学校とは
「旧木沢小学校」は長野県飯田市南信濃木沢(マップはブログ最下部)に昭和7年(1932年)に建築された木造校舎。当時の正称は「木沢小学校」で、平成3年に休校となり平成12年で正式に廃校となった。平成2年生まれの僕でも、学校と言えばコンクリートのような硬化物で建築されているイメージだったので、見た目に反して最近まで木造校舎が使われていたと思うと感慨深い。

平成の世まで機能していたとは思えないような、またテレビドラマやアニメでしか見たことないようなノスタルジック漂う風貌。良い意味で田舎らしい独特の魅力が伝わってくる。
全盛期の昭和20年には300人を越える小学生が森林鉄道に乗って登校していた。時代と共に過疎化が進み年号が平成に変わる頃には、全校生徒数は20人程まで減少してしまった。
行くと分かるが、想像以上に山深い場所にある。歴史を知ると物寂しい気もするが仕方のない事なのだろう。
元々この周辺の地区を『遠山郷』と呼び、「信州三大秘境」や「日本秘境100選」に選ばれる程の自然豊かな地域で、住民の方々から重宝されてきた場所。またここ木沢地区は上町・下栗・和田を結ぶ秋葉街道の要所に位置する宿場町で、遠山森林鉄道の起点として栄えた。

その遠山森林鉄道の起点である木沢地区の中心的存在が、この木沢小学校だった経緯から、現在に至るまで当時の木造校舎のまま、地元住民の方々に大切に保存されている。
校舎内の様子
平成3年に休校になってからは、細かいリニューアルはされたが大部分は当時のままだ。基本的に入場料は無料だが、校舎維持の為の協力金を募っている。
驚いたのは、廃校などの古い建物には「手を触れないでください」などの注意書きがあちこちに表示されている為、写真を撮るには少し窮屈に感じる訳だが、旧木沢小学校のモノには基本的に触れる事ができる。

中には触れられないモノなどもあるが、邪魔な柵や景観を壊す注意書きが無いのは、撮影する身からするとだいぶ有り難い。そんな自由度で言えば入場料をお支払いしたいくらいなのだが、これが遠山郷のもてなし方なのだろう。訪れた方には進んで協力金の寄付をお願いしたいです。
写真上のランドセルや絵は当時のモノだったり、卒業生からの寄付だったりするらしい。いかにこの学校が生徒から愛されていたかが分かる。

今では見られない、用途不明なレトロな機材もズラリと展示されていた。使えるか分からないが、流石に恐くて触れなかったが、知らない時代の機器には心惹かれる。

写真には無いがオルガンなども置いており、自由に触れる事ができた。たまに音が出なくなると、地元住民の方々のみで直してしまうだとか…なんとも頼もしい!

当時から校長室に将棋盤が置かれていたかは不明(笑)しかし壁の色合いや、後ろの黒板に記された「昭和」の文字から生々しい程に当時の面影を感じることが出来る。月日が経てど、机や窓は綺麗だった。これだけ大きな建物を住民だけで管理するのも大変なはずなのに、全く頭が上がらない。

身体検査に使われる器具は大体置かれていた。窓際に干されている?白衣には正直驚いた(笑)


ここは確か図工室だったかな…今は倉庫のような感覚で使われていた。レトロを通り越して近未来的に見えるのは僕だけだろうか。

右端に見える木琴や五線譜の黒板など、幼い頃の記憶が蘇る。
他に図書室などもありましたが、執筆活動を始める前に訪れたので、写真に納められませんでした…ごめんなさい。
そしてここ数年で、すっかり人気スポットとなった「日本のチロル」こと『下栗の里』からも非常に近い場所にあるので、一緒に訪れてみてはいかがだろうか。

まとめ
写真を見てもらえば分かる通り、撮影もかなり自由度は高いので非常に楽しめる。また管理されている住民の方も非常にお優しく、飲み物やお菓子をお裾分けしてくれた。卒業生からのコメントなども見るとじんわりくるモノがある。旧木沢小学校は、そんな人の優しさに触れられる住民から愛された学校だった。
今日のカメラ機材
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