いつかは消えて無くなってしまうからこそ「今」を大切に写真に残そうと思うんだ

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何故写真を撮るのか?残しておきたい写真とは何なのか?今回は前に僕が体験した少し寂しい写真の話。

カメラを始めて今年で10年目。ただの趣味ではあるが、僕にとっては一応節目となる年だ。趣味の割にはよく続いているなぁと思ったりするのだけど、ふとした出来事から、何故写真を撮るのか?ということを考えるようになった。

勿論、この疑問に対する答えはないし、僕個人の考え方なのだけど、考える程に深いテーマだったので、僕の経験を踏まえて記していこうと思う。

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あらゆる物はいずれ全て消えて無くなってしまうので写真に収める

数年前に、こんな話を聞いたことがある。「あらゆる物はいずれ消えて無くなってしまうからね、だから写真に収めておくのかもしれない」。

全て消えて無くなるから写真に収めるなんて考えたことも無かった…。この話を聞くまでは、今まで自分の好きなモノだけ撮っていただけなので、そこまで撮影に対して深く考えたことは無かった。

確かに仕事で撮影している人もいるけれど、それは他人から以来された写真であって、今回はそれは抜きにして、自発的に「残しておきたい写真」の話。家族の写真や思い出、お気に入りの場所など「残しておきたい写真」は誰にでもあるだろう。

写真というカタチあるモノに思い出を残しておく
写真というカタチあるモノに思い出を残しておく

何故それらの「残しておきたい写真」を撮影するのか。それは冒頭の通り「いずれは無くなってしまうことを無意識のうちに感じている」からなんだと思う。結婚式の写真だって、美しい花嫁姿は人生の一瞬だけだし、その華やかな瞬間もすぐに終わってしまう。

自分に子供ができれば、子供の成長につれて写真を残していく人も多いはずだ。それはきっと成人してからでは子供らしさは無くなってしまっているから、今のうちに写真に残しておこうと無意識のうちに感じているのかもしれない。

極論を言えば、人は最終的に死ぬ。そのことを根底で理解しているからこそ、思い出などをいずれ振り返られるように、各々「残しておきたい写真」があるのかもしれない。

当たり前のように有る物が無くなってしまうのは寂しい

日常の中にある物。自分に馴染みのある物。それがある日を境に、急に無くなってしまうのは凄く寂しい。ここからは僕が経験した少し寂しいお話。

ユウマガでも何度か記事にしている通り、僕は山梨の北杜市が好きで、毎年訪れているのだけれど、とある道端に「MILK CABIN」という物置小屋があった。じろじろ見る訳にもいかないけれど、多分小屋だったと思う。

MILK CABIN
MILK CABIN

この物置小屋は木製で小さな家の形をしており、北杜市の空気感にぴったり合っていて、これを見ると八ヶ岳の麓、自然溢れる北杜市に来たなぁ〜と毎回一人で思っていた。北杜市の中では名もなき場所だけれど、個人的には凄く好きな場所だった。

とある冬の日のMILK CABIN
とある冬の日のMILK CABIN

そんな感じで、お気に入りの場所だったのだけれど、2021年8月に訪れた際には「MILK CABIN」が跡形も無くなっていた…。信じられずに探し回ったけれど、どこみも見当たらない。

気付いた時には跡形も無くなっていた
気付いた時には跡形も無くなっていた

先ほどからMILK CABINの画像にムラがあると思うのだけど、撮影しているカメラが違い、1枚目の写真は「Nikon FM2」2枚目は「Sony a7Ⅲ」そしてこの写真と4枚目は中判カメラ「Mamiya 645」で撮影。

話を戻すけれど、よく見ると土台のようなモノが残っており、ここに有った事は間違いない。やっぱり跡形も無くなっていた。老朽化か台風や自然災害の影響か、どういう経緯かは分からないが物凄い虚無感に襲われた。

残されたMILK CABINの土台
残されたMILK CABINの土台

勝手にだけれど、何年も見守ってきたモノが何の前ぶれもなく、そこに有って当たり前と思っていた物置小屋はもう無い。ネットで探しても情報は無いし、画像すら出てこないので、既製品ではないのかもしれない。

失ってから気付く存在の大きさ。恋心ではないけれど、やはり自分の好きだったモノが無くなってしまうのは寂しい。

そんな経験をした僕が言える事は、当たり前だと思っているモノは決して当たり前ではない。人も同じでいつ居なくなってしまうか分からないので、何気ない瞬間も写真に収めておいた方が良いのかもしれない。

ここにあったんだよなぁ…と今後は記憶の中で楽しむとするか
ここにあったんだよなぁ…と今後は記憶の中で楽しむとするか

まとめ

今回は「残しておきたい写真」とは何なのか。数年前に聞いた話と、僕が経験した「いずれ消えて無くなってしまう」を踏まえて改めて振り返ってみた。

「今」は勿論、今しか撮れないので、そう思えば何気ない日常が凄く大切に思えるのかもしれない(仕事に忙殺されていなければ)。

最後に余談だけれど数年前、僕に今回の話をしてくれた人に紹介して頂いた、増山たづ子さんの写真集『すべて写真になる日まで』。ダムに沈みゆく故郷を最後まで撮影し続けた通称「カメラおばあちゃん」の写真集。

村が沈んでしまう前に記録に残したいという思いから、60歳を過ぎてからカメラを覚え、10万枚を超える村の写真から抜粋し出版された。今回の記事の内容はこの写真集に詰め込まれていると思うし、何より素晴らしい写真集なので、個人的にオススメしたい。

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